会津塗
NUNOBUN Co.Ltd.
会社概要
会社概要
会社名
株式会社布分
代表者取締役
佐藤 昌利
創業
1960年4月創業(昭和35年4月)
設立
1966年3月設立(昭和41年3月)
資本金
所在地
資本金1000万円
〒965-0861 福島県会津若松市日新町12-9
TEL
FAX
0242-27-3330
0242-27-3467
定休日
営業時間
事業内容
毎月第2.第4土曜・日曜・祝日
9時00分~17時00分
漆器・美術品・工芸品・特注品・OEM・卸売・店舗販売
取引銀行
第四北越銀行・東邦銀行
主要取引先
百貨店・小売、卸問屋・通販ショップ・専門店・観光民芸品店
アクセス
会津若松駅から徒歩で20分 会津若松インターから車で10分 (※無料駐車場有)
会津漆器について
【会津漆器の歴史】
会津の地に本格的に漆工芸が根付いたのは、天正十八年(西暦1590年)豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷公が産業として奨励したことによります。氏郷公は前の領地であった日野(滋賀県)から木地師(きじし)や塗師(ぬりし)を呼び寄せて先端技術を伝授させます。 これによって会津塗の技術は飛躍的に進歩を遂げ、漆の栽培から加飾(かしょく)までを一貫して手がける一大産地となっていったのです。江戸時代には会津藩の藩祖・保科正之(ほしなまきゆき)公が漆の木の保護育成に努め、また、歴代藩主が技術革新に熱心に取り組み、中国、オランダなどへも輸出され、隆盛を迎えます。しかし、幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)において会津漆器は壊滅的な打撃を受けてしまいます。戊辰の戦火によって焼け野原と化した会津
の復興は会津漆器の復興でもあったのです。明治の中期には、会津は日本有数の漆器産地としてその名を再びとどろかせるに至っています。四百年という時を超えて生き抜いた伝統の技の上に、常に最新技術を積極的に取り入れ会津漆器は現在まで成長を続けています。
【会津漆器の特徴】
会津漆器の製造工程において、お椀等の丸物とお盆・文庫等の板物に分類され、松竹梅と破魔矢を組み合わせた模様は会津絵と呼ばれています。会津塗の特徴は、縁起の良い意匠や多彩な加飾の美しさです。また、他の産地の漆器より溝を細かく浅く彫るので、装飾からは柔らかな表情を感じることができます。江戸時代では黒・朱・緑の色が多く使われていましたが、近代になると赤茶のうるみやオレンジ色の洗朱(あらいしゅ)も用いられるようになり、限られた色数の中から考案された配色も見所になりました。上塗りには、錆漆(さびうるし)を施して鋳物のような渋みのある「鉄錆塗(てつさびぬり)」、もみ殻で模様を作る「金虫喰塗(きんむしくいぬり)」などの技法が施されます。他にも木目の美しさを引き出した「木地呂塗(きじろぬり)」
油を加えて光沢を出す「花塗(はなぬり)」などの様々な上塗り技法があり、それぞれ高度な技術が要求されます。加飾では、漆をたっぷり含ませた筆で描き、乾燥の具合を見ながら金粉の最も細かい消粉を真綿で蒔きつける「消粉蒔絵(けしふんまきえ)」が会津塗を代表する技法です。